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ネット通販、ますます好調

ネット通販、ますます好調の気になる通販グッズ情報はこれです。

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約90年前の1918年、アメリカへ輸出されたお品物です。オールドノリタケ コバルトブルー×金彩 ハンドペ

約90年前の1918年、アメリカへ輸出されたお品物です。オールドノリタケ コバルトブルー×金彩 ハンドペイント キャンディディッシュ/Candy Dish 1918年
約90年前の1918年、アメリカへ輸出されたお品物です。オールドノリタケ コバルトブルー×金彩 ハンドペイント キャンディディッシュ/Candy Dish 1918年




こんばんは。
今日も元気にブログ書いています。

今日のブツはこれ↑ですが、どうですか?


朝型の私なんですが、元気にがんばっています。

気になる商品は、一目でわかります。
どこが違うのかが。

オンラインショッピングで買えるこんなアイテムを紹介しています。



今回のは、茅ヶ崎さくらアンティークスから販売されてます。


注目のトレンド詳細はこちら!

遥かな時を刻み続け、これから100年先までお使いいただきたいお品物をご紹介しております。-茅ヶ崎さくらアンティークス店長からのオススメ ポイント-オールドノリタケ 1918年(大正7年頃)にアメリカ輸出用として作られたコバルトブルー×金彩で装飾されたお品物が約90年の時を経てアメリカより入荷しました。裏印は、"NORITAKE M HANDPAINTED NIPPON MADE IN JAPAN"です。製造年代は、この裏印から、1910年-1918年頃のお品物です。オールドノリタケの歴史についてご説明させていただきます。今では想像もつきにくいことですが、明治期の日本では大人数向けの洋食器作ることは、困難を極めました。日本で初めて国産のディナーウェア誕生までの歴史とはどのようなものだったのでしょうか。明治9年(1876年)・銀座4丁目に"森村組"を設立したノリタケの創業者"森村一左衛門"は、当時アメリカで人気の高かった陶磁器の輸出を始めます。当初は、日本の骨董や大阪で仕入れた御神酒徳利(アメリカ人は、これを花瓶だと思って喜んで買ったそうです。)などを輸出していました。しかし、そのような需要も長続きするこはなく、1883年、森村組・ニューヨーク支店の弟・森村豊は、「アメリカ人が日常使うコーヒー茶碗を作って送ってほしい」と東京の本店に要請しました。お茶碗や湯呑みしか使わない日本人の瀬戸物職人にとっては、コーヒーカップを焼くことなど、当時の日本のどの窯でも不可能なことでした。森村一左衛門らは、京都や瀬戸の窯に出かけては、名工たちを説得するものの引き受けても見つからず、一度は製作を断念したもののついに瀬戸の陶工川本枡吉の説得に成功します。そして彼によって日本で初めてのカップ&ソーサーを完成させました。その出来ばえは、九谷焼風の美しい絵付けが施されていたとはいえ、生地の色はネズミ色で表面もボテボテのものでしたが、輸出先のニューヨークでは評判になりすばらしい販売実績をあげたそうです。1894年には、ニューヨークのモリムラブラザーズ(森村組)にビキンサイダー(百貨店)の店主から、「生地色を現在の灰色から純白へ改良しなければ、これからの売上は望めない」との忠告がありました。このときから生地改良の挑戦が始ります。明治30年には、森村組の飛鳥井孝太郎を政府の海外貿易練習生としてドイツに1年7ヶ月派遣しますが純白の生地を作ることは出来ませんでした。明治35年、森村組の名古屋支店に陶器を買いに来た2人のイギリス人・ローゼンフェルド兄弟との出会いが、純白生地の製造へと導きます。彼の父親は、オーストリアで陶磁器工場を経営しており、大倉孫兵衛と大倉和親親子を派遣します。その後、ベルリンのドイツ国立陶土工業化学研究所を訪ねたり、チューリンゲンで最新式の機械を購入し、工場設計の手配も終えて明治36年に帰国します。明治37年(1904年)1月1日、名古屋市郊外の鷹歯村則武を本社・工場とする「日本陶器合名会社」が設立されました。石炭による洋式磁器焼成窯第1号に火が入ったのは、同年11月でした。しかし、新工場は稼動したものの、ディナーセットを完成させることが出来ず、社長の大倉和親を再びオーストリアの陶磁器工場を見学のため派遣します。その末、大正3年(1914年)6月、ついに20年間苦闘を重ねた日本製ディナー・セットが完成します。その後、日本の美意識に基づいた作品やアールヌーヴォー・アールデコを取り入れた作品を世界中へ輸出が始り、その名前を世界に響かせていきます。こちらのお品物は、1910年-1918年頃に名古屋港からアメリカへ輸出された約90年前のお品物です。約90年という時間を経ましたが、無事に日本に戻りご紹介させていただきます。お色は、フランスのセーブル窯やイギリス・ミントン窯などでも高級ラインのみに使われたコバルトブルーの縁取りがアクセントになっています。一番外側には、金彩の放射状の線模様と水玉模様の装飾です。その内側には、金彩のラインで挟まれたコバルトブルーで絵付けされた帯状のラインに、金彩で花柄の模様が押されています。裏印にも興味深い点がございます。こちらの裏印は、通称 "M-Nippon印" と呼ばれているマークです。図案の"M"は、ノリタケ創業者"森村家"の頭文字"M"を表しています。Mの文字の周りの植物は、藤です。これは、森村家の家紋"下がり藤"のマークを、商売が上向くようにと"下がり藤"を"上がり藤"に作り直しています。また、1918年にアメリカへ商品を輸出する際には正式の国名(NIPPONからJAPAN)を記載することがアメリカの関税法で定められました。そのため、1918年以降の裏印は、"Nippon"から"JAPAN"の表記に変更されています。マークを見てみますと、一部のお品物には、"M-HANDPAINTED NIPPON"の下に、"MADE IN JAPAN"と二重に刻印が押されています。これは、当初製作段階では、"M-Nippon印"で作っていたところ、関税法の変更により"MADE IN JAPAN"を追加せざるを得なくなったということのようです。そのため、製作年代は、"M-Nippon印"が使われた1910年から"M-JPANA印"へ変更された1917年(大正6年)-1918年(同7年)と推測されます。裏印(バックスタンプ)を見ましてもこのようにストーリがあるのは、アンティークならではの楽しみの一つではないでしょうか。試行錯誤の末に焼きあがった白色磁器に金彩とコバルトブルーの組み合わせが、約90年の時間を超えた現在でも美しい輝きを放ちます。○茅ヶ崎店でも販売しておりますので、早期終了させていただく場合がございます。○大きさ 横幅約21cm 長さ約10.5cm 高さ約3.3cmです。○裏印 NORITAKE M HANDPAINTED NIPPON/1917年-1918年(大正6年-大正7年頃)にアメリカ輸出用として作られたお品物です。○コンディション 約90年前に輸出されたお品物ですが、使用感のない綺麗なお品物です。経年変化のために、一番外側の金彩の縁取りが若干薄くなっています。○アンティークのお品物のため経年変化による商品説明にはない、若干の細かい傷等ある場合がございます。○PC環境等によりまして、画像と実物のお色が若干異なる場合がございます。○ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。 楽天国際配送対象商品(海外配送は、別途送料が必要です。/Additional shipping cost is required for international buyer.)詳細はこちらです。 Rakuten International Shipping ItemDetails click here 2P16Mar09




約90年前の1918年、アメリカへ輸出されたお品物です。オールドノリタケ コバルトブルー×金彩 ハンドペイント キャンディディッシュ/Candy Dish 1918年の通販商品を紹介しました。

ぜひ、激安通販の参考にして下さい。



早朝というか夜明け前から海釣りに行きたいです。
朝は苦にならないので、、というか好きだから。


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